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今週の御言葉

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2017年12月10日礼拝

交 読:詩篇139篇1〜16節
通 読:ヤコブの手紙1章
御言葉:コリント人への手紙第二 6章7〜12節

真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持って いる義の武器により、また、ほめられたり、そしられたり、 悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、
自分を神のしもべとして推薦しているのです。 私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。 コリントの人たち。私たちはあなたがたに包み隠すことなく話しました。私たちの心は広く開かれています。 あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。                                                                                                                                                                                                             

    
『あなたがたは多くを期待したが、見よ、わずかであった。

 あなたがたが家に持ち帰ったとき、わたしはそれを吹き飛ばした。

 それはなぜか。それは、廃墟となったわたしの宮のためだ。

 あなたがたがみな、自分の家のために走り回っていたからだ』

                       (ハガイ1章9節)

今朝は大きな静寂の中で、神さまの前に座り込む時をもらった。。

いきなりこの御言葉が目に飛び込んできた。。

(ほんまにそうや)もう24年もの歩みなのに、今わずかなものしか

残っていない。初めの時の力や期待、また喜びや主にある時間がどん

どん、減っているようにさえ思う。。

御言葉が鮮烈に語ってくれている。。『廃墟となった宮』『自分の家

のために走り回っていたからだ』と。。ほんまにほんまにそうや!

私は初めに時間は24時間神様にある時間を過ごしていたように思う。

しかし今は、会社のため、家族や自分の認めるメンバーや、気になる

ことのために心を配り、走り回っている。。

これはアカンわ。もう一度主の前にひざまずこう。。

そして、主の宮である定められた場と聖霊の宮である自分自身を点検

し、その為になすべきことに、心を向け、自分自身も光の中で見直し

その歩みを自分のことや、気になることで走り回るのではなく、主に

仕えることができますようにと願い求めたい。。
『主よ。あなたの決めておられるように、私を生かしてください』

                   (詩篇119−156)

朝一番、この御言葉が目に飛び込んできた。胸にドンと届いた。。

自分の心の中には仕事や生活のことや、カウンセリングのこと、

心に多くの方々のことがたくさん詰まっている。

病の中にある方、憎しみや痛みの中にある方、家族のことで苦悩

している方、資金繰りや生活のことで苦しんでおられる方、自分の

性格や仕事のことで悩んでいる方etc。

私の中にも今後のことについてや、特に神さまの前にどう生かされ

たら良いのかと思い悩む日が多い。。

しかし『あなたが決めておられるように、私を生かしてください』

という道が目の前にいつもある。でもいつも忘れ、自分で考え悩む。

ああ、何をやっているのか・・・ほんまにアホやな。。ごめんなさい。

「あなたが決めておられる道にただ生かしてください」ともう一度

本気で祈る。私たちを愛してくださっている方になお信頼し、従う。

それ以外にないのに・・同時に今週『私が主の囚人であることを恥

じてはいけません。神の力によって、苦しみをともにしてください』

(テモテ?1−7・8)と語られている。苦しむことも、受け止め

なければ、あなたの決めておられるようにとは、やっぱり言えない。

何があろうと、どんな歩みになろうと従います。そう本当に言える

腹も厳しく迫られた上での御言葉だと、襟を正す。。

あてにならない自分の生き方ではなく、神さまの決めておられる

ように生きさせてもらいたい。それ以外に生きる道はない。

自分の敵はやっぱり自分だけだ。間違わないようにともう一度自分

に言い聞かせる。何と嬉しい御言葉だろう!!








『主は私の義にしたがって私に報い、私の手のきよさにしたがって

 私に償いをされた』(詩篇18−20)

『主は私の義に従って、また、御目の前の私の手のきよさにしたが

 って私に償いをされた』(詩篇18−24)



この近々、少々心が暗い・・・なんでだろう。。

・人に対する思い煩いがある。。

・これはどのように解決すれば良いのか。。

・言うべきか言わざるべきか。。

・自分の好むものとの戦い。。

次から次へと思いが飛び出してくる。そのことをこうして書いてい

ると、すべての主権が自分にあることを見る。



今週の私たちの交読の箇所として与えられた詩篇から、はっきりと

示されている。貴女は羊飼いに従う羊ですか?と。

我は羊と書いて『義』という文字となる。私は羊でなく、羊飼いで

ある主イエスに従う者でなく、自分で苦しみ、自分で悩んで、自分

で何とかしようとしている者だ。



今の私に主が報いてくださっているだけだ。ただそれだけだ。。

ありがとうございます。心が暗いことを、心が辛いと感じることを。

あなたが私を愛し、私に従っていないぞ、と知らせてくださり感謝

します。あなたを離れて何をしても意味のないことです。

この空しさを感謝します。私があなたのぶどうの木につながり、何

があろうと、主に従う者であるとき、いつも大きな平安と喜びがあ

ることを知っています。感謝します。。

どうかこの手が自分の思うものを掴み、あなたの望まれないものに

触れることがありませんように。。私の手ではなくあなたの手だけ

がきよい手です。主にあって生きさせてください。


『私の叱責に心を留めるなら、今すぐ、あなたがたにわたしの霊を注ぎ

 あなたがたにわたしのことばを知らせよう』(箴言1−23)



朝、聖書を開けたら、このみことばが目に飛び込んだ。。

苦しみや困難に出会う時、私はいつも神さまの愛だと思うようになって

24年になる。それまでは自分にとって苦しいことや、辛いことがある

と、苦しみ悩み、時には自分を励まし、時には自分を腐らせながら、ス

トレス解消をやけ食いや、やけ飲み(笑)や買い物でごまかしてきたよう

な気がする。しかし、24年前、そのすべてをひっくり返してもらった。

『苦しみに会ったことは、私にとって幸せでした。私はそれであなたの

 おきてを学びました』(詩篇119−71)

このみことばが、私の心にストンと入ったのだった。不思議なことだ。



幼い日にも、どんな時にも「ありがとう」と受け止めて、急場を乗り越え

た体験がいくつもある。。私の中に神の霊が注がれたのはたぶん5歳だ。

初めて行った教会で、永遠の世界があり、天国と地獄の絵を見せられ、

どちらに行きたいですか?と問われた日がある。その時とても怯え、天

国に行きたいと手を上げた日をいまさらに覚えている。時間は定かでは

ないが、その後空を見上げていると、大きな手が見え、そこから誰かが

私の中に降りてきたような気がした。。とても不思議な体験だった。。

私の家はとても貧乏で多くの苦難にあった。幼い私はただ祈るしか道が

なかった。心が逃げ出さない時いつも、すべての解決は「ありがとう」と

いう思いがどんな時にも一杯になったことを覚えている。

しかし、大きくなって、自分で頑張ることが出来るようになってから、

とても不自由になった。そんな私は神さまに逆らって、叱責に心を留め

ないで生きていた。霊が注がれなければ神を真に知ることは出来ない。

また注がれても、神に留まらなければ分からなくなってしまうような気

がする。でも24年前、諦めない神さまの迫りによって、またすべての

ことが愛だと揺るがない心に戻してもらった。ああ、良かった。。

何と何と素敵な素敵なことだろう。。



神さまの霊が注がれる。。どれ程大きな恵みだろう。。

苦難の日に、神さまに心を留めるなら、今すぐ神との交信の霊を注ぐと

言ってくださっている。。愛する人に、お世話になった人に、今苦しみ

や困難の中にある人に、この霊が注がれますようにと心から祈る。。
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