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今週の御言葉

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2017年12月10日礼拝

交 読:詩篇139篇1〜16節
通 読:ヤコブの手紙1章
御言葉:コリント人への手紙第二 6章7〜12節

真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持って いる義の武器により、また、ほめられたり、そしられたり、 悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、
自分を神のしもべとして推薦しているのです。 私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。 コリントの人たち。私たちはあなたがたに包み隠すことなく話しました。私たちの心は広く開かれています。 あなたがたは、私たちの中で制約を受けているのではなく、自分の心で自分を窮屈にしているのです。                                                                                                                                                                                                             

    
次の日曜の2月22日は、父方の祖父の40周忌になる。。

入院中の母は「おじいちゃんの記念会を、どうしてもしたい!」と

明日から外泊許可をもらって、豊中に帰ってくることになった。。

85歳になった母の強い願いだ。。姉と相談して1日前の明日、家族

皆が集まってお墓に行き、食事会をするに決まった。母は大喜びだ。



祖父が亡くなったのは、私が高校2年生の時のことだ。。

祖父は立派な体格で、背も高く、とてもハンサムだった。父が4歳

妹が2歳の時、私の父の母は亡くなり、後妻をもらった。その方にも

2人の子供が産まれ、4人兄弟で育った。。父は多くの苦悩を体験し

たようだった。。その父を不憫に思った祖父は、特に父を溺愛した。

その後妻の方も父が結婚した後、病気で亡くなった。その後また祖父

は、一人の女の子を連れた後妻さんをもらった。その方も体が弱く、

祖父が体調を壊し寝込んだとき「大阪の長男の元に世話になりたい」

と話があったようだ。結局その方とは話し合い、別れる決意をした。

また、私たち一家がクリスチャンだということで、仏壇や位牌など

のすべてを処分して「息子家族に従う」と故郷熊本を後にして我家に

来た。大きな決断の連続で、どれほどの葛藤だったことだろう。。



当時の我家は父の病と、事業の失敗による借金で、まったく余裕のな

い状況だったが、母は二つ返事で祖父を歓迎した。

私は当時中学2年生。狭い狭い我家に、あまり関わったことのない、

大きな体格の祖父が来た。着替えや寝るときも戸惑い、祖父と上手く

会話が出来なかった。しかしこの狭い場所で、気まずい思いをして

過ごすことに苦痛を感じ悩んだ。数ヵ月後手紙を書き、交換手紙をし、

仲良くなったことを思い出す。。私が高校を合格した日「大阪に来て

一番嬉しい日だ」と涙を流して喜んでくれた日が胸に残っている。。

40年前の2月22日の日曜の朝、礼拝に行こうとした時、母が

「今日は何だかおじいちゃんのことが気になるので、礼拝は休む」と

言った。。ちょうど礼拝の時間の最中に、母が賛美歌を歌い、祖父は

「世話になったね。ありがとう」と言って、亡くなったと聞いた。

貧しい、本当に厳しい環境の中での命の終わりとなった。。しかし、

父の腹違いのい熊本の妹が、娘と共に電車の座席に座り外を向いてい

た時、孫娘が「おじいちゃんがお空にあがっているよ、ママ!」と空

を指差したと言う。「そんなはずないでしょう」と気にも留めなかっ

た妹だったが、祖父の死去の知らせを聞き「やっぱり!」と絶句して

その話をしてくれた。。

小さな密やかな葬儀が行われたが(神さまの御許に行ったんやなぁ)

そんな思いが広がり、何故か心が華やいだ記憶がある。。

豊かな暮らしも、行き届いた治療もしてあげることは出来なかった。

しかし、神さまの命を知り、神の子となり、この地上での旅路を終え

旅立った祖父。。あれから40年か…父は昇天から30年。。

天の御国で二人は再会し共に暮らしていると思うと、胸が熱くなる。

これは作り話ではなく実際の話だ。。神は生きておられる。。

明日は母の願う40年祭を心から感謝して、共に主の御名をほめたた

えたいと思う。祖父と父の神さまへの道が、私たちに続いている。。

私も再会できる希望を持って、与えられた日々を悔いのないよう、

どのような状況の中でも神を恐れ、感謝して、喜んで歩みたい。。
神さまが今日も生きておられ、私たちを愛してくださっている。。

神さまが居られることを信じることが出来たということ自体が、とんで

もない恵みだとつくづく思う。。本当に本当に本当に凄いことや。。



この大自然の豊かな地球に命の誕生が与えられ、生かされた人間の中で、

誰一人、自分で心臓を動かしたことも、内臓を動かそうと決心して動く

ようになった人もいない。生きているのではなく生かされた存在だと、

私は幼い日から思っていた。。「人は何故生まれ、何故生きなければな

らないのか、人は死んだら何処に行くのか」そんなことをいつも考えて

いた。「何故この家に生まれ、何故こんな性格で、環境で、風貌で・・」

いろいろな悩みや疑問を持ちながら、自問自答しながら日々を過ごして

きた。。進化論??学校で習った時、何故こんなことを信じる人がいる

のだろうと唖然とした日を今も覚えている。。

何処の国に生まれるか、生まれた国や置かれた場所の風土や、さまざま

な違いがある。。体も健康な人もいれば、障害を持って生まれた人もいる。。しかし、みんな、みんな、この天地の恵みの中で生かされている。



空には太陽や月や星、大地には木々や草花、動物や植物や果実、誰もが

見たことも、触れたことも、食したこともある。。人や動物が新しい命

の誕生に遭遇したことも、人の命の終わりを目の当りにしたことも、耳

に聞いたこともある。

しかし、私たちはこの創造主を覚えないし、認めない。何でやろう??

目があっても見えず、耳があっても聞こえない??

それでも、人が作った像に神を見出し、創られた人を神として崇める。。

私にはどれもこれも、やっぱり分からない。。

でもそんな中「真の神を知りたい!本物の神いるのか、いるなら本物の

神を教えて!」と命がけで叫んだ日、真の神の命を知る者とさせてもら

った。。人間が生きているのは、この神さまと出会うためやったんや!

主イエスキリストの十字架と死。そして復活。。このとんでもない愛が

お腹の底に届いた。。「生きれる!生きれる!見つけたこの道」

今まで味わったことも、感じたこともない喜びが湧き上がり「私は今日、

人間になった!」と叫んだ日を決して忘れない。。

あれから25年・・・人の目に今の自分の姿がどのように映るかは分から

ない。。でも私はほんまに幸せやと、心から思う。。



私の人生の責任は、神さまが取ってくださっている。。

私がこのジーザス・ロードを歩まなかったら、死んでいただろう。。

たとえ生きても、ボロボロの人生を細々と生きていただろう。。

でも今は、創造主の御手の中に、何が起きようと、何もなくてもある

ことが分かる。。これ以上の幸せはあるやろうか??

絶対にないと確信する。。私は神さまのもの。

感謝します・・・何があっても、あなたに従います。。
今から20年前、ジーザス・ロードのお墓の話。

今週の御言葉『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。

わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることは

ありません』(ヨハネ14章6節)

今週礼拝で与えられた御言葉は、私たちにとって大きな力であり、

礎となった御言葉だ。。



私の父を通じ、私が神さまのいのちの道に導かれた後、6・7名の

人たちがジーザス・ロードを歩み始めていた。そんな頃、一人のメ

ンバーのお父さんが、40年間のご自身の独自の信仰から、主イエ

スの救いの道を病床で知り、洗礼を受けられ「イエス様が来られた

から行くよ」と奥さんの肩を叩き息を引き取られ、昇天された。。

娘さんやその方のご親族にとっては、キリスト教による葬儀なんて

「とんでもない」と猛反対の中、凄いことが起こった。。

その方の次女と、お孫さん二人が、葬儀のことでもめ自宅に遺体を

搬送する為の車を外で待っていたとき、父であり祖父であるその方

が、ニコニコしながら天に昇られるのを見たのだった。

葬儀はぬくもりと平安に包まれ、喜び一杯の出発式となった。



そして、私たちはこの昇天をきっかけにジーザス・ロードのお墓を

作る計画をした。しかし私たちが願った場所は抽選に外れてしまい、

まったく別の墓地公園に決まった。しかし、その広い敷地の中では

どの場所に決めればいいか迷うばかり。そんな時、自然に歩き始め

た場所に一本の古びた木が、まるで「ここだ」と指差すように倒れて

いた。そして、その木には『私が道であり、真理であり、命です』

と書かれてあったのだった。。そこが私たちのジーザス・ロードの

お墓の場所となり、それから20年。今では12名の神の家族が、

土に返る場所となった。。でも魂は天の御国だ。。

今週の御言葉にもう一度、あの日を思い起こし胸が熱くなった。。

主の御名をほめたたえます。。
4年前の思い出 「私とパソコン」

パソコンなんて私には無用?いや不要?いや実は出来ない。

そう思っていた時、離れた場所に住んでいる息子が久しぶりに帰ってき

た。「お母さん、今ごろパソコンが出来ない、使えない何て言ってると

時代から取り残されるよ」そう言いながら、息子自身のパソコンの前で

何やらやっている。そして、「お母さん、このパソコンあげるよ。これ

からの僕への連絡はこのパソコンを通じてメールでお願いします。もう

電話は出ないよ。もし、僕と話したいと思ったら、実際にこのパソコン

を開いてね。ここにメールが出来るまでの手順を書いておいたから」

そう言うと、いきなりパソコンの開き方を書いた紙を見ながら私に教え、

そしてあっという間にパソコンを閉じて帰ってしまった。



何が何だかわからない。戸惑いと、そんなこと言ったって・・・とつぶ

やく私の心と、釈然としない心が残った。息子に電話をかけてみた。

出ない・・・何度かけても出ない。そんな馬鹿な!!

あれから4年。本気で私にパソコンへの興味を開き、メールを始めるこ

とで新しい道を開いてくれた。

厳しい息子の優しさに今は完敗であり乾杯だ!



今はそのお陰で、メールはもちろん、本を書いたりと大活用です。

厳しさのある訓練は有益やと思わされたちょっといい話でした。
少し前のちょっといい話。。

先月の10月20日は私の55歳の誕生日だった。

21日〜23日までは韓国へVIPのソウル支部が立ち上がることと、

カウンセリングのために行っていた。睡眠時間2日間で4時間位で、

クタクタになって帰国し、自宅に帰った。

自宅前に着くと、赤いリボンの飾ったピカピカの自転車がお出迎え。。

赤い大きなリボンが飾ってある。〈うーんこれは何?)前籠の中には

メッセージカードが添えてあった。

「誕生日おめでとう。欲しいといっていた自転車を送ります」文面は

皆には内緒・・・。いつ置いてくれたんだろう。

家に入り思わず主人に電話。私の韓国の帰国に合わせて、前日にわざわ

ざ丹波から豊中に来て置いて帰ったという。。

何と嬉しいプレゼントだろう!!

いつものようにボロボロの涙、涙になったのは言うまでもない。

時間が過ぎても、25年ぶりのマイ自転車。乗る度に胸が熱くなる。

やっぱりブログに書いてみたいなぁ・・そう思って書かせてもらった。

夫婦のおのろけですね・・・失礼しました。でも本当に素敵でしょう!
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