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今週の御言葉

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2016年12月4日礼拝

交 読:詩篇51篇 10〜17節
通 読:テサロニケ人への手紙第一 3章
御言葉:コリント人への手紙 第一 15章45〜58節
聖書に「最初の人アダムは生きた者となった。」と書いてありますが、最後のアダムは
生かす御霊となりました。最初にあったのは血肉のものであり、御霊のものではありま
せん。御霊のものはあとに来るのです。第一の人は地から出て、土で造られた者ですが
第二の人は天から出た者です。土で造られた者はみな、この土で造られた者に似ており
天からの者はみな、この天から出た者に似ているのです。私たちは土で造られた者の
かたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。兄弟たちよ。私はこのこと
を言っておきます。血肉のからだは神の国を相続できません。朽ちるものは、朽ちない
ものを相続できません。
聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうので
はなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにで
す。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。
朽ちるものは、必ず朽ちないものを着なければならず、死ぬものは、必ず不死を着なけ
ればならないからです。しかし、朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着
るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
死のとげは罪であり、罪の力は律法です。
しかし、神に感謝すべきです。神は、私たちの主イエス・キリストによって、私たちに
勝利を与えてくださいました。ですから、私の愛する兄弟たちよ。堅く立って、動かさ
れることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあ
ってむだでないことを知っているのですから。
                                                                                                  

    

昨日は朝から夜中までの、長い一日となった。

さまざまな所要を済ませて、沖縄からのお客さまとそのお仲間

の皆さんとの待ち合わせ場所へ。

はじめてお会いする方々が3名おられたが、あっという間に親

しい友のように話が弾み、びっくりするほど楽しくて有意義な

時間が流れた。あれは何だったのだろう?!親近感と意気投合?

不思議な、嬉しい時間〜ありがとうございました。

夜は心が弾み、眠りにくい夜となった〜とにかく楽しかった!

今日の午前中は、食事を食べない母のところに、姉たちと日替

わりで食事を届けているが、今日は私の担当。

母の体重は34キロになってしまった〜クリスマス礼拝に出席で

きるようにと母の強い願いだ〜しっかり支えたいと思う。

昨日朝会で、紹介された素敵なお話を紹介します。

(小林麻央さんのブログから)

2年前、32歳の時に、私は乳癌であることを宣告されました。

娘は3歳、息子はまだ1歳でした。

「治療をして癌が治れば、元の自分に戻れるのだから、大丈夫

!」と思っていました。けれど、そんなに簡単ではありません

でした。今も、私の身体は、がんと共にあります。

私は、テレビに出る仕事をしていました。病のイメージをもた

れることや弱い姿を見せることには「怖れ」がありました。

なので、当時、私は病気を隠すことを選びました。

隠れるように病院へ通い、周囲に知られないよう人との交流を

断ち、生活するようになっていきました。

1年8か月、そんな毎日を続けていたある日、

緩和ケアの先生の言葉が、私の心を変えてくれました。

「がんの陰に隠れないで!」私は気がつきました。

元の自分に戻りたいと思っていながら、私は、陰の方に陰の方

に、望んでいる自分とはかけ離れた自分になってしまっていた

ことに。何かの罰で病気になったわけでもないのに、

私は自分自身を責め、それまでと同じように生活できないことに、

「失格」の烙印を押し、苦しみの陰に隠れ続けていたのです。

それまで私は、全て自分が手をかけないと気が済まなくて、

全て全てやるのが母親だと強くこだわっていました。

それが私の理想の母親像でした。けれど、病気になって、

全て全てどころか、全くできなくなり、終いには、入院生活で、

子供たちと完全に離れてしまいました。

自分の心身を苦しめたまでのこだわりは失ってみると、

それほどの犠牲はなく意味のあるこだわり(理想)ではなかっ

たことに気づきました。

そして家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、幼稚園の

送り迎えができなくても、私を妻として母として、以前と同じく、

認め、信じ、愛してくれていました。

私は、そんな家族のために、誇らしい妻、強い母でありたいと思

いました。私は、闘病をBlogで公表し、自ら、日向に出る決心を

しました。すると、たくさんの方が共感し、私のために祈ってく

れました。そして、苦しみに向き合い、乗り越えたそれぞれの人

生の経験を、(コメント欄を通して)教えてくれました。

私が怖れていた世界は、優しさと愛に溢れていました。

今、100万人以上の読者の方と繋がっています。

人の死は病気であるかにかかわらず、いつ訪れるか分かりません。

例えば、私が今死んだら、人はどう思うでしょうか。

「まだ34歳の若さで、可哀想に」

「小さな子供を残して、可哀想に」でしょうか??

私は、そんなふうには思われたくありません。なぜなら、病気に

なったことが私の人生を代表する出来事ではないからです。

私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、愛する人に出会い、

2人の宝物を授かり、家族に愛され、愛した、色どり豊かな人生

だからです。だから、与えられた時間を、病気の色だけに

支配されることは、やめました。

なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。

だって、人生は一度きりだから。

 

 

昨日は月曜日〜またまた無様な自分との出会い?!

先週末に心にひっかかったことに、私の愚かさを超えて、憐れみ

と導きの中で、行き違いや、思い違いや、互いに分からなかった

状況を話し合う時をもらい、修復の時をもらえた(ありがと)

しかし昨晩帰宅して、私の言動に光が照らされた〜いやぁ無様だ。

人より自分の考えや思いが正しい者のように語っている〜また人

の生活基準や考えを、私の基準の中で上から目線で批判?して話

している自分を見せられた(ああ、何とかっこ悪いことか?!)

自慢話や自分を高く上げて話す人に、いつもしんどさを覚えてい

るのに、それは「お前も同じだ!」と、光を照らされた〜ほんと

うにそうだ。こんな話はしんどいと言いながら、自分が同じこと

をしている姿を棚に上げている〜いやぁ無様だ。

いま私にとって、とても必要だと感じる本がある〜その本からの

ひとコマを紹介したい「苦しみは人を強めるが、喜びは大体にお

いて人を弱くするにすぎない。勇敢に堪えしのぶ苦難と苦難のと

の間の休みの時が、害のない喜びである…あなたが、神からあな

たを遠ざける喜びよりも、あなたを神へと駆りたてる苦難の方を

好むようになるならば、あなたは正しい道にいるのである」

380ページある〜あちらこちらに学ばせてもらう言葉がぎっし

りと詰まっている。試練や苦難は毎日否応なしに届いてくる〜

しかしすべては大きな恵みの中だ。無様な自分を見たり、知った

りすればするほど、神の憐れみと恵みを深く覚え、ただただ、

ごめんなさいとありがとうを、真顔で主に祈るばかり。

今日は週明けの数字&週間予定報告の朝。

週末の水隣の理事会〜社会福祉法人の仕組みが大きく変わる法令

が出て、私たちもその変化に対応するための会議だった。

評議委員と理事の任に当たる方々と、全施設長の出席だったが、

なかなか重苦しい雰囲気のまま終りを迎え、会の最後の締めの祈

りは私に預けられた。どう祈ればいいのだろうか?!と思いつつ、

(主の言葉を預からせてください)と願いながらの閉会の祈祷。

次年度からは、がらりと変わる〜大きな大きな変革だ。

また昨日の日曜日は十三礼拝〜先週末からの心位置の悪さが、礼

拝のご用に影響?!とても中途半端で思いっきりへこみ、謝罪。

そしてここでも大きな変化の予感〜前牧師先生主の召天で無牧と

なった教会で月に一度8年間ご用を預かってきたが、変わるかも?

2016年〜アメリカもイギリスも韓国も、また世界中に異変が

起きている〜また世界でも日本列島でも地震や自然災害が〜終り

の時代に突入した時のしるしが顕著にあらわれて来たと感じる。

何より個人的には、主の迫りと管理は半端ではないと思いっきり

体感。何に価値を置き、思いを向けて行くのかはそれぞれ個人に

委ねられている。私はこの変化の時、なお主を恐れ、主の御心に

心を留めて生かされる日々でありたいと心から願う。

 

 

 

     主の祈り

 

     聖書の中に、イエス・キリストが

     このように祈りなさいと

     教えてくださっている祈りがある

     その中に

     我らに罪をおかす者を

     我らが赦すごとく

     我らの罪をもゆるしたまえ

     という個所がある

     何と出来得ないことだろうか

     といつも思う

     人の罪を赦すなら

     天の父もあなたがたを赦し

     人を赦さないなら

     あなたがたも赦さないと

     聖書は続いて書いてあります

     ああ・・・本当に難しい

     でも、イエス・キリストはいつも

 こうして、私たちを許し続けて

     くださっていることも

     思い知らされる

     あなたが赦してくださるが故に

     私たちの今日があります

     あなたがしてくださったように

     私も人に対し、させてください

     祈るばかりです

 

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